Last Updated on 2025年7月26日 by akito1012
こんにちは、あきとです。
ワークライフバランス。
もはや当たり前すぎて、企業の宣伝文句でアピールされても特段のオリジナリティがなくなりつつある、この言葉。陳腐化したこの言葉。
今日はこの言葉について考えてみようと思います。
目次
はじめに:陳腐化しつつあるキーワードを考えてみる
仕事もプライベートも充実させましょう、そのために社会も組織も支援しましょう、と。
うん、その理念は大変に高尚だし、人間らしい豊かな人生を目指す上で大切なことだと思います。
でも、時々ふと思う。
この「ワークライフバランス」という、誰もが肯定しやすい、いわば「耳心地の良い言葉」が、本来の意味とはちょっと違うニュアンスで、都合よく使われてしまっている場面もあるんじゃないかな、と。
「逃げ」の口実的な。
今回は、そんな「ワークライフバランス」という言葉の使われ方について、ぼくが最近感じているモヤモヤを、ちょっと整理してみます。
ワークライフバランスの理想と現実
豊かさの組織的援護
逃避のスマートな正当化手段
本来の理念:多方面への発散を組織的に援護する
そもそも「ワークライフバランス」って、
- 仕事も頑張りたい
- 家族との時間も大切にしたい
- 自分の趣味や成長にも時間を割きたい
…そういう多方面への意欲や関心を、つまり興味/意思の発散を、社会全体で支えていきましょうっていう、すごく前向きな概念だったはずですよね。
仕事も大切、家族も大切。
人間が人間らしく、実りある人生を送るための、大切な考え方。
組織と社会で人間を支え、その人間が協働して組織と社会を創りあげていく。
…まあ、言われてみれば、割と当たり前のことですな。
一部で見られる使われ方:「逃げ」の口実?
でも、最近、特に若い世代の一部で、この言葉がまるで「面倒なこと」「責任」「努力」から逃げるための便利な口実みたいに使われてしまっているんじゃないか、と感じることがあるんです。
- ワークライフバランスが大事なんで、定時で帰ります(で、スマホをたらたらスクロール)
- 飲み会はちょっと…ワークライフバランス的に…(セッティングはまだしも、参加も面倒。全欠席。内なるコミュニティに引きこもり)
- 有給は100%消化しないと!ワークライフバランスですから!(権利は主張するけど、義務は…?)
みたいな。
もちろん、個人の時間を大切にすること、無理なく働くことは重要です。
身体が資本です。
権利受容と義務拒絶
でも、それが大した成果も出さず、スキルも磨かず、会社や社会、日の丸に「おんぶりだっこ」状態の人が、単に楽をしたいがための言い訳としてこの言葉を振りかざしているとしたら…。
自分のベクトルとは少しでもずれている障害は、すべて排除しようとしているとしたら。
それは本来の理念とはかけ離れちゃってますよね。
両立ではなく、逃避なのですから。
余談)
個人の自由を!と高らかに宣言しながら、組織の支援を!と懸命に求める。
指示は要らない、責任は要らない、義務は要らない、でも権利はほしい。
…なんじゃこれ
背景にあるかもしれない心理
犠牲者気分で社会進出
省エネ思考に自己陶酔
「悲劇のヒーロー」気取り
特に若い人に限って、こういう「権利としてのワークライフバランス」を声高に主張する傾向がある気がするのは、ぼくだけでしょうか。
まあ、ぼくも25なんですけど笑。四捨五入したらおっさん。
もしかしたら、マスコミとかが、
- 「不景気な時代の若者はかわいそう」
- 「生まれてから一度も好景気を実感したことがないのだぁぁ」
- 「競争は子どもの心を痛めつけてかわいそうだぁぁ」
みたいに、若者を過剰に持ちあげてしまった(=手のひらコロコロした)結果、「自分たちは時代の犠牲者、悲劇のヒーローなんだ」と、どこか勘違いしてしまっている部分もあるのかもしれない。
そして、その「かわいそうな自分」を正当化するために、つまり、犠牲者気分に酔いしれながら権利一辺倒の主張を展開する自分を擁護するために、「ワークライフバランス」っていう、なんだかスマートで誰も反対しにくい横文字を、都合よく使っている
…そんなずる賢さを、時々感じてしまうんです。
「省エネ」志向
彼らの言う「バランス」って、結局のところ、「仕事(面倒、責任、努力)」の比重を極限まで軽くして、「楽(自分の好きなことだけ、責任なし)」の比重を最大化したい、っていう「省エネ志向」なんじゃないかな、と。
それを「時代にマッチした賢い生き方」みたいに思い込んでいるのかもしれない。
しかし結局は、「大変なことから逃げたい」っていう気持ちを、オブラートに包んでいるだけに見えちゃうんですよね。
自己賛美と他者否定
あるいは、彼らって、本気で何かに打ち込んでいる人を、ちょっと見下す傾向にある。
「え、なにガチになっちゃってんの」みたいに。
もしかしたら、彼らも内心では、夢中で何かに熱中している姿に、羨ましさとか憧れを抱いているのかもしれない。
けれど、その人の前向きな姿勢を認めてしまうと、犠牲者としての地位に安住している既存の環境が脅かされてしまう。あるいは、少々天邪鬼だから、無駄に意地っ張りだから、素直じゃない自分に酔っているから、卑屈と否定と批判にしか興味がないのかもしれない
だからこそ彼らは、ポジティブなエネルギー、つまり挑戦や前進に対する拒絶反応を示しているのではあるまいか、と邪推してしまうのです。
いや、ひねくれすぎ笑、ぼく。
(余談)KPI
トピックがダークになりつつあるので、ちょっとリラックスできる余談を…挟みます…
スマホスクロール大会
彼ら若者は、「じゃあ定時で帰って何してるの?」っていえば、特に資格の勉強をするでもなく、家族団らんに参加するでもない。
ただ、スマホと相対して、画面を無限にスクロールしている…なんてことも少なくない。
彼らにとってのKPIは、仕事の成果じゃなくて「スマホのスクロール回数」なのかもしれない。
彼らは興奮に飢えている、その欲を満たせる格好の手段だからでしょうか。
髪の毛スクロール大会
あ、あとあれもKPIですね。髪の毛を手櫛でスクロールした回数ですね。
Z世代って、ぼくも世代ですけれど、日がな一日髪の毛をいじっている印象がある。
あとは、いじるに加えて、左右に髪の毛を振りまくる男子大学生、ほんと多すぎですね笑。
微妙に小刻みに揺らして、ちょっと自分に酔っているところが、絶妙にダサくてかわいいです
ふけが飛び散るからね、まあ、ほどほどにね。
「良い」バランスと「残念な」バランス
さて、話を戻します!
ワークライフ「シナジー」という考え方
ワークライフバランスを重視する人の中にも、2つのパターンがあると思っています。
一つは、本当にやりたいことが仕事以外にもたくさんある。
そのために、組織的な支援を求め、時間を有効活用しようとするポジティブな人。
「仕事も全力で頑張る、でも子育ても諦めたくないから、会社の育児支援制度を活用したい」とか、「自分のスキルアップのために、終業後に学校に通いたいから、定時で帰れるように単位時間あたりのアウトプットを増し増してやる!」とか。
これは誠に素晴らしい。
「ワークライフシナジー」(ぼくはこの言葉の方が好きです)ですよね。
「逃げ」の口実としてのワークライフバランス
でも、もう一つ。
それは、仕事はできるだけしたくない、責任も負いたくない。
とりあえず、自分の趣味や気楽なことだけ、それだけやっておきたい…という人が、仕事から「逃げる」ための口実として「ワークライフバランス」を掲げるパターン。
こっちは、ちょっと残念な使い方だな、と。
ていうか、狡猾。
素直に「逃げたいんです」とか言えばいいのに。
「ワークライフバランスだ」、「個性の時代だ」とかいえば、周囲はだれも反対できないとわかっている。
だからこそ、「逃げ」を正当化して押し通す手段として、この横文字を戦略的に使っている。
おわりに:言葉の裏側と、自分自身のスタンス
「ワークライフバランス」自体は、とても大切な考え方。
ていうか、よくよく考えると、仕事を一生懸命頑張ろう、家庭も大切にしようという、至極当たり前のことを、現代的な横文字でアピールしてるだけなんですけどね笑
でも、その言葉が一人歩きして、本来の意味から離れて使われてしまうと、途端に空虚なものになる。
結局のところ、本来目指すべきは、労働も娯楽も充実させるためのポジティブな姿勢であって。
その実現手段として、組織的あるいは社会的なサポートが必要なんだろうな、とぼくは思うわけです。
テキトーに生きちゃってるグレーでユニークな世界観を持っている自分に酔いしれたい場合は別ですけどね。
単なる「逃げの口実」としてこの言葉が使われるのは、やっぱり違うよね、と。
権利だけ声高に叫ぶのは、周囲との摩擦を生むだけ。なんだか、大人げないし、みっともないなあと。
だからぼくは、労働や娯楽を、相互に刺激しあう動的なシステムとして捉えるような、ライフワークシナジーという言葉が好きなんですな。




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