Last Updated on 2025年5月19日 by akito1012
こんにちは、あきとです。
目次
はじめに:グルメはお買い物には興味がなく..
ちょっぴりハッとして、きょろきょろして、とりあえず1歩を踏み出して、10分くらい歩くけれど、やっぱり違うと気づき、元居た場所に引き返す。
「ルーティン」というレールに敷かれない珍奇と探検の連続。
そういう、思考と行動の新陳代謝に埋没できるイベント、それがぼくにとっての旅行であります
今回は、そんなぼくの旅行感を、昨年のU.S.旅行をベースに掘り下げていきます。
プランニングと達成の喜び:試行錯誤は病みつきのドラッグ
まず、ぼくが旅行で大きな喜びを感じるのが、「計画の立案」と、その計画を「達成する」こと。実行はただの架け橋役にすぎない。
これは、たとえばディズニーワールドへ行くにしても、メトロポリタン美術館美術館を巡るにしても同じ。
限られた時間の中で、自分の目的をどうすれば最大限満たせるか、情報を集め、ルートを考え、スケジュールを組む。
ゴールから逆算する。
自分のわがままと興味と知恵と予算を総動員して、ゼロから行動計画を作り上げていくプロセス。
この試行錯誤そのものが、創造的で楽しいんです。
そして、そのプラン通りに事が進んだ時の達成感は、何物にも代えがたい。
自分の読みと行動がバチッとハマった感覚ですね。
だからなのか、行動そのものにはあまり喜びは覚えないんです。もちろん、エンジョイはしますよ。ただ、それだけです。その行動をしてるとには、すでに次の計画のことを考えてますからね笑
現実の「ギャップ」:思い込みの反転
次に心惹かれるのが、「ギャップ」。ギャップ萌えは人類が普遍的にもつ感性のアンテナなのかもしれない
事前に持っていたイメージや予想が、現地に行って良い意味で(時には悪い意味でも)裏切られる瞬間ですね。
想像より遥かに安全:NY
たとえば、「ニューヨークって結構治安悪いのかな…薬物とか蔓延してるんじゃ…」なんて勝手に思っていたけど、実際にセントラルパークを夜9時にランニングしても全然平気だったし、裏道も特に不安を感じなかった。
電車内のマナー悪いのかなとか思っていたけど、みんなお行儀よく座り、お行儀よく話し、お行儀よくスマホをいじっていた。
「あれ、意外と安全じゃん!」っていう実体験に基づく気づき。
不慣れな環境から受けるフィードバックは、一段と強く脳に刻まれるんですよね、やっぱり。
Google Maps< 現地人
逆に、Googleマップを信じてバス停に行ったのに全然違う場所だったり(笑)ってこともあった。
たしかあれは、宿泊ホテルからLGA空港に向かうバス停でのイベントだった気がします。
一向にバスが来ないので、近くの白髪のおばちゃんに尋ねたところ、「そのバスは反対側よ」とおっしゃられた。そりゃ、まあ、たいそうなことですよ。
でも、そういう時に現地の人に聞いて、より正確な情報を得られると、「やっぱり人の経験ってデータに勝るんだな」って、これもまた一つの発見になるんですよね。
地元歴20年の地元民を舐めちゃあいけませんね。
「自分ツッコミ」のエンタメ性:メタ?
旅行中って、なぜか普段より「自分自身にツッコミを入れる」ことが多くなる気がします。
そして、それがまた癖になる。
ディズニー・ハリウッドスタジオ
たとえばWDWでは、熟年夫婦に頼んで、バズ・ライトイヤーとツーショットを撮ってもらったり、自由の女神を背景にフェリーから自撮りしてみたり。
「いや、ディズニーが好きでもないソロ男性が、一人で楽しく何やってんねん」みたいなツッコミを、自分で入れてみたりする。
スターウォーズのアトラクションで、周りが家族連れなのに自分だけポツンと一人で乗って、「いや、ぼく場違いでユニークすぎる」みたいな(笑)。
会社から、家まで歩く、3時間。
あるいは、以前やったみたいに、会社から家まで3時間かけて歩いて帰るとか、「お前、何やってんの?」って自分でも思うような、ちょっと道を外れたおふざけ。理解不能なアクション。
こういう「おかしなことしてる自分」を、もう一人の自分が発見してツッコむ。この内なる漫才みたいなのが、旅のスパイスになるんですよね。醍醐味ってやつです。
外野に言われると少々腹が立つけれど、でも自問自答なら大歓迎です。
場所の「空気感」:グランドセントラル駅の心構え
場所そのものが持つ独特の「空気感」や「空間の使い方」に息を呑むことも多いです。
特に印象的だったのが、ニューヨークのグランドセントラル駅。
あの広大なメインコンコースと、天井一面に描かれた星座図。ただ広いだけじゃなくて、歴史的な建築美と、近代的な交通ハブとしての機能が融合している、あの荘厳な「空気」。
そして何より、日本の大きな駅なら、すぐにコンビニだのカフェだのアパレルだの、セ〇ンだのマクド〇ルドだのUNI〇LOだの、しっちゃかめっちゃかに店舗を詰め込むところを、グランドセントラル駅は、だだっ広い空間をそのままにしている。
あの「突き抜けるような開放感」に、「うちは国土が広いから、そんなセコセコ空間使わなくても大丈夫なんですよ」っていう、アメリカの余裕とおおらかさを感じたんです。
「場所」の「空気」に心を動かされた貴重な経験ですな。
「適応」プロセス:いざ没入へ
そして最後に、やっぱり未知の環境に「適応」していくプロセスそのもの、環境に自分の身体が染み込んでいくあの感覚は、たまらなく癖になります。
NYの地下鉄と回転バー
たとえば、ニューヨークの地下鉄。
乗る前は路線番号じゃなくて「北行きか南行きか」でホームが違うなんて知らなかった。だから最初は見事に乗り間違えて全然違う方向に行っちゃったり(笑)。
でも、その「やべえ、間違えた!」からのリカバリーが、またイレギュラーでおもしろい。
でも慣れてくると、看板の表示を見るだけで、行先の当たりがつけられるようになる。「お、そろそろNYに馴染んできたかな」なんて、ここでも自分ツッコミをすることもあります。
あるいは、地下鉄の改札が、なんだか物々しい回転バー式(刑務所っぽい!)で最初は戸惑うけど、2日もすればだんだん慣れて、その環境に自分が「順応」し、「埋没」していく感覚。
自分の中に、新しい経験値がどんどん刻まれていくのが分かるんですよね。
環境から得た知識を、たとえ不器用でも環境に投げ返して、その微妙なずれを修正しながら、徐々に環境に慣れ親しんでいく。これぞ、成長してるなって思える時間なんですね
補足説明と料理初心者
直前の文章が何を言ってるかというと笑。
たとえば料理初心者が、レシピ本で調理方法や器具の使い方を知識ベースで学んだとしましょう。さて、それをいざ現実に適用した際に、包丁の持ち方とか、切るときに力を入れるタイミングとか、思い通りに進まないことが多々ある。
つまりめちゃんこ不器用。
しかし、この不器用なチャレンジの連続が、現実と自分の思い込みとのあいだにあるギャップをつなぐ架け橋として機能する。だから日々の鍛錬で料理がみるみる上達していく。
これぞ成長!…っていう話です。
まとめ:「埋め込まれてる」んじゃなくて「埋め込みに行く」感覚
色々と要素を挙げてみたけれど、結局のところ、旅行で心が動かされる瞬間は、
「生かされてる」んじゃなくて「自分が今、試行錯誤しながら、必死に動いてる。」って強く実感できる時なのかもしれない。
日常って、良くも悪くもルーティンに「生かされている」感覚がある。埋め込まれている感覚がある。
だけど、プランニングの試行錯誤や、予想外の出来事への対応、環境への適応は、まさに「自分自身で自分を生かしている」っていう、強烈な手応えをくれる。
自分を未知の環境に埋め込みに行くような、そういうイメージです。
旅行中に心が響くタイミングは、そういう「生への手応え」のある瞬間なのかもしれないな、と。
まあ、色々話が前後しちゃったけど、ぼくが旅で面白いと感じるのはこんな感じ。
だからこそ、PLC(People, Language, Currency)が変化しない旅行からは満足を感じられないのかなあと、そう思うこの頃であります笑。




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