「本物志向」の深層心理。「羨ましい!」と思われたい、羨望欲求と差別化戦略について

Last Updated on 2025年7月6日 by akito1012

はじめに:もっと私のことを見て!羨望を向けられたいSNS住民

こんにちは、あきとです。

「#丁寧な暮らし」という、ハッシュタグ。

また新手の「スマートな暮らしぶり選手権」が開催されているのかなあと思い、少しだけのぞいてみました。

キラキラした写真と共に並ぶ、手作りの保存食、磨き上げられた部屋、お気に入りのコーヒーカップ、Morning Routineで朝ヨガ…。

そして「わざわざ」写真に収めて全世界の視界下に置きたがる。

しかし、ちょいとひねくれているぼくからすると、少しだけうさん臭さを感じてしまうのが事実。

特にどこか「丁寧な暮らしをしている自分」を演じているような、あるいは、見せびらかしているような、そんな匂いも感じてしまう。

今回は、ぼくが感じるこの小さな「違和感」の正体を、自分なりに言語化してみようと思います。


「羨ましい!」と思われたい? 羨望欲求と差別化戦略

「特別な自分」を演出する、羨望のまなざし

まず、SNSでよく見かける「丁寧な暮らし」の投稿。あれって、突き詰めると何なんだろう、と。

もちろん、本人が心からその生活を楽しんでいるのが第一でしょう。

でも、それをわざわざ発信するという行為の裏には、

「周りとは区別された、ユニークで特別なアイデンティティをもった唯一無二の私」

という存在を認識されたい、という思いが見え隠れする気がするんです。

他者からの「すごいね」「お洒落だね」っていう「羨望のまなざし」。

それをシャワーのように浴びることで、羨望欲求が満たされる。

そのための、一種の自己演出として機能している側面は、否定できないんじゃないのかなと。

ぼくが旅行系の記事を投稿する理由の一部にもこれが含まれていますね。想い出を可視化しておきたい、というのが7割、もし記事の内容が刺さる人がいたらその人と体験を共有したい、というのが2割、暇だから、というのが1割。ですね。

「分かっている自分」をアピールする、知的マウンティング?

「本物志向」も、構造は似ているかもしれません。

商品の背景にある理念やストーリーに共感して消費する。それは素晴らしいこと。

でも、その行動の裏に、「ぼくは、君たちみたいに表面的にモノを選ぶんじゃない。商品の背景にあるメカニズムやフローまで、しっかり探求する『分かっている』人間なんだ」という、周りとは違う自分をアピールする手段としての側面も、あるんじゃないか。

あれですね。年齢に拘わらず、周囲の人を啓蒙したくてたまらないお節介人間が象徴的かなと。「実は首都って東京と京都の2つなんだぜえええ!!」「実はノルマってロシア語だったんだぜえええ!!」

みたいな。いや、知らん知らん、どうした急に、ってなっちゃいます。

コミュニティと情報、2つの社会的要因

コミュニティ形成の誘因の多様化

昔は、コミュニティって、具体的な「モノ・実体・固有名詞」に集まっていたと思うんです。

たとえば「レッズ好き」とか「ジャニーズ好き」とか。

「ベイスターズ好き」とか「コーヒー好き」とか。

その軸には、実体や固有名詞、かっこよくいうと、エンティティがあった。

でも今は、もっと抽象的な「考え方」や「価値観」に共感する人々が集うコミュニティが増えてきている。まさに、「丁寧な暮らし」や、特定のブランドが掲げる理念が、その核になっている。

マインド面や精神面、「断捨離で心のフットワークを軽くしよう」とか「脱サラという条件分岐を選んだ民が集う場所」的な感じですかね。

これは、コミュニティができる「きっかけ」そのものが、時代と共に変化してきている証拠なのかもしれません。

つまり、「モノ」という具体的な物象から、「価値観」というより抽象的な概念へと、コミュニティ形成の軸が移り変わってきているのではないか、と考えてます。

そのコミュニティの中に、「丁寧な暮らし」とか「本質志向」のような考え方のフレームも現れてきたのかもしれません。

情報過多への処方箋?「信頼できる軸」への渇望

そして、もう一つ。

「わからない」から「安心」したい。という欲求もあるのかもしれない。

日本製やら米国製やら中国製やらドイツ製やらスウェーデン製やら。

XXX社製やら何やら。

何を買うにしても、選択肢が星の数ほどあるため、もはや何を選んでいいか分からない。

だからこそ、信頼できる一つの「軸」を持ちたいんじゃないか、と。

それが、社会的に評価されている「ライフスタイル」や「ブランド」という価値観。

そして、その信頼できる軸を足がかりにして、今度は「この製品の成分は自然由来か?」みたいに、深く探求していくプロセスこそが、「丁寧さ」や「本物志向」の本質。

つまり、思考停止の逃げ道じゃなくて、情報過多の海を泳ぎ切るための「思考のアンカー(錨)」として、機能しているのかもしれませんね。

世代で違う?「丁寧な暮らし」の動機

若者の場合:「承認」と「差別化」のツール

ただ、この動機も、世代によって少し違う気がしています。

若者たちが見せる「丁寧な暮らし」や「本物志向」は、やっぱり他者との「差別化」や自分の「唯一無二」や、SNSでの「羨望欲求」が、比較的大きな動機になっているんじゃないかな、と。

他の人がやっていない、ちょっと珍しくて、手間のかかることをあえてやる。

珍しがられたい、ユニークな自分という特別な存在に注目してもらいたい。

それによって、「その他大勢」に染まらない、他者と重複しない自分というアイデンティティを確立したい。そんな思いが、根底にあるように感じます。

マジョリティが生まれると、そのマジョリティに染まらんとする人々によって、新たなマイノリティが生まれる。ここに人が集まることで、そのマイノリティはマジョリティに変貌する…。そういう循環の中で文化やトレンドは進展しているのかな、とも思いました、書いてて。

中高年の場合:「本質」への回帰

一方で、人生経験をある程度積んだ世代が実践するそれは、動機が少し違うかもしれない。

長年、民間企業のせわしない消費社会や、社会が押し付ける「こうあるべき」という流れに揉まれてきた結果、ふと「外野の忙しない誘因から解放されてみたい」と、自分の根源的な欲求、つまり「本質」を問い直すフェーズに入った。

その結果として、自然とこういう暮らし方に行き着いている。

形だけの「見せかけ」ではなく、精神的な「落ち着き」を求めるようになる。

若者のそれが、「他者へのアピール」という外向きのベクトルを持っているのに対し、こちらは「自分との対話」という内向きのベクトルが強いのかもしれません。

おわりに:流行の裏側で、自分は何を思うか

結局のところ、「丁寧な暮らし」や「本物志向」という言葉自体は、誠に多面的。

ある人にとっては他者からの羨望(え~!カレーをスパイスから作るなんて、XXXくん/ちゃんマニアックですごいぉぉぉいい!)を得るための「差別化戦略」であり、ある人にとっては社会の流れから距離を置くための「アンチテーゼ」であり、またある人にとっては情報過多の時代を生き抜くための「思考のアンカー」でもある。

ぼくは、その言葉の美しさだけに目を奪われるんじゃなくて、その裏側でどんな心理や社会構造が働いているのかを、斜に構えた感じで見てみるのが趣味なんです笑。

「あれ、それ羨ましがられるために頑張っちゃってるんじゃね??」的な。

嫌な奴ですねえ笑。

だから、自分自身が何かを選ぶ時には、「あれ、このアクションって、誰かへのアピールのためなんじゃね?」と、常に問い続けていきたいと思ってます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です