資格試験は「知の遊園地」? ぼくがハマる「学び」の道楽と遊戯論

はじめに:試験という緊張感

ダイジェスト)学びを引退した人類にとって、今の脳みそは明らかにオーバースペック。これほど高性能な臓器を与え給うた神の思し召しに応えるかの如く、執念深くブドウ糖を消費し続けていきましょうや、脳みそでね。

こんにちは、あきとです。

突然ですが、ぼく、「制限時間」と「圧迫感」に押しつぶされる「資格試験」が好きなんです。

人によっては、「なんでそんな面倒なことを?」って思うかもしれない。

でも、ぼくにとっては、資格試験という社会的なブランドをもぎ取りに行くプロセスにはまり込んでしまう。

確かに、時には苦行になるけれども、知の探検旅行を楽しませてくれるような、自分の情報空間をどこまでも広げていけるような、自己満足をどこまでも満たすことができる「遊戯」でもある。

今回は、そんなぼくがなぜ資格試験にハマるのか、その魅力と、ぼくなりの「学びの哲学」について、静かに語っていきたいと思います。

「学び」の魅力①:

知の拡張機能

五月雨式の発散

ex)G検定

多方面に広がる「知の拡張性」

ぼくが「学び」、特に資格試験のような体系的な学習に惹かれる最大の理由は、その「拡張性の高さ」にあります。

どういうことかと言うと、資格試験の勉強って、基本的に抽象的な概念や知識の体系を理解して、展開していく活動ですよね。

一つのことを知ると、それに関連する別の知識が「これってどういうこと?」「あれとどう繋がるの?」って感じで、次から次へと湧いてくる。

例)JDLA Deep Learning for GENERAL

たとえば、最近ぼくが受けたG検定(ジェネラリスト検定)。

AIの基礎知識を問う試験ですが、「Senet」とか「VAE」「LSTM」みたいな宇宙語が出てくる。

ここを深堀すると、共通項として、「RNN」とか「CNN」みたいな専門用語が出てくる。

さらに、じゃあ、その元になったディープラーニングって何?その基盤技術は?って掘り下げていくと、2012年の「ILSVRC(画像認識コンペ)」でAlexNetがずば抜けたな成果を上げた歴史にたどり着く。

じゃあ、それ以前のAI研究ってどんな感じだったの?冬の時代?イライザ?中国の部屋?AI効果?え、なにそれ、初耳やん!?

…みたいに、一つの知識が、過去へも未来へも、そして横の関連分野へも、どんどん広がっていく

この、自分の情報空間が無限にスケールアップしていく感覚、まさに知的なアドベンチャー。探検しがいがあるんですよ、これが。

摩訶不思議アドベンチャーです。

「学び」の魅力②:

抽象世界のブランド力

受験料と入園料

穏やかな獰猛生

情報空間のファッションブランドと、遊園地の入場料

それぞれの資格試験って、ぼくにとっては、独自の文化やルールを持つ「情報空間(ユクスキュルの言うところの環世界に近いかも)」を構成しているように見えるんです。

宅建なら不動産、社労士なら労務や年金、診断士なら日本版MBAとか企業コンサル…みたいに。

そして、その資格知識を身につけることは、その情報空間における「ファッションブランド」をまとうような感覚に近いかもしれない。

ビジネスシーンや、転職活動っていう、コミュニケーションの説得力が求められる場面で、「ぼくはこういう専門知識という名のブランドを持ってるんですよ」っていう、ちょっとしたアピールにもなる。

入園料と利用料

そして、受験料や予備校の費用。

これって、一見すると「コスト」だけど、ぼくからすると、その専門的な情報空間(遊園地)で思いっきり遊ぶための「入場料」や「アトラクションの利用料」みたいなもの。

お金を払って終わり、じゃない。

そこから自分自身の力で知識やスキルを「もぎ取ってやる!」という行為。

こういう、動物的な本能をくすぐるプロセスに、結構はまる。

やはりぼくはゲームが好き

結局僕は

獰猛に知を「獲得する」感覚が、結構癖になるんですよね。

だから、1回数万円かかる試験も、面白そうだと思ったらガンガン受けに行っちゃう。

「学び」の魅力③:

半永久的な報酬

苦労と根性

ex)大学受験

即時的快楽を超えた「蓄積」と「多面的な報酬」

もちろん、食べる、歌う、遊ぶといった「即時的な快楽」も大好きですよ。

動物だからね。

夜9時(最近は10時だけど笑)に洋楽熱唱したり、休日に暴飲暴食したり。

そういう快楽って、その瞬間は誠に気分がよろしい。

しかし10年後にはほとんど覚えていない。

たぶん、脳に刻まれるほどの苦労も苦悩もしていないから、脳内では単にスルーされてしまっているからかもしれない。

一方で、懸命に熱中して「勉強したこと」とか、試行錯誤しながら「考え抜いたこと」って、その体験の過程で得た経験も不思議と覚えてるんですよね。

例)大学受験

たとえば、もう7年前ですけれども、不器用ながらも泥臭く猛勉強した大学受験の経験とか。

あれですね、数2bで4点を獲得したり、英語の入塾模試(センター試験模試)で30点を獲得したり。他校の生徒と予備校で切磋琢磨したり、模試帰りにファミレスこもって採点しあったり。

最高に青春してましたねえ。

とりま、抽象的な世界に没頭した経験に紐づく思い出は強く脳に刻まれるのです。

これが、即時的な快楽との違い。刹那的な快楽との境目。

「今」にしか残らないのか、「後世」の自分に語り継がれるのか。

学問は、「今」も「後世」も領得できる、なんともお得に楽しめるアトラクションのようですな。

未来への懸け橋となる

つまるところ、勉強や学習から得られる快楽って、「今」を満たすだけじゃない。

努力して何かを達成することで、「自分で自分を承認できる」っていう感覚(自己肯定感!)も得られるし、一度身につけた知識やスキルは、物理的なモノと違って誰にも「奪われない」

これって、すごく大きな魅力ですよね。(ユダヤ人が迫害の歴史の中で、奪われない知的財産を重視した、っていう話にも通じるかもしれない)。

さらに、資格を取れば、その分野のコミュニティに参加する道も開けて、新しい人脈ができたりもする。そうすると、その人たちと一緒に食事に行ったり、新しい趣味を始めたり…と、現実世界での物理的な快楽や人間関係の広がりにも繋がっていく

情報を得るだけじゃなくて、苦悩、喜び、達成感、やりがい…いろんな感情も味わえる。

まさに、多方面に感情的な報酬/刺激がある活動なんです。

まあ結局、頭脳に染みつくような苦労した体験は、それが学習であれ恋愛であれ、おしなべて生涯の記憶の伴走者となる。その伴走者が多い人ほど、教養も視野も広い。そう思いますな。だからぼくは苦労したい!絶望…もちょっとしたい。

おわりに:だから、ぼくは「めちゃんこ」走る

大学受験だって、5教科7科目もあったからこそ、飽きずに最後までやり遂げられたんだと思う。

公務員試験も20科目近くあったけど、めちゃくちゃ楽しかった。だから、民間じゃなくて公務員を選んだ、っていうのもあるくらい。

結局のところ、ぼくにとって「学び」や「資格試験への挑戦」は、

  • 知的好奇心を満たし、自分の世界を拡張する「探検」であり、
  • 攻略性や達成感、自己肯定感を与えてくれる「遊戯」であり、
  • そして、人生を前のめりに生きるためのモチベーションの「起爆剤」

なんです。

だから、やめられないんですね。学びを辞めた人類にとって、今の脳みそは明らかにオーバースペック。これほど高性能な臓器を与え給うた神の思し召しに応えるかの如く、執念深くブドウ糖を消費し続けていきましょうや、学びでね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です