ぼくと嵐の物語:5人で紡ぐハーモニー

Last Updated on 2025年6月14日 by akito1012

はじめに:

最も遠い身近な存在

嵐:”均整と均衡が織り成す相互依存的な人的ネットワーク”

こんにちは、あきとです。

今回は、ぼくの人生の伴走者たる存在、嵐について語ろうかなと、思います

トップランナーなのに、なぜだか近所の身近なお兄ちゃんのように思える、そんな存在。

なぜ、ぼくはこれほどまでに彼らの織り成す世界に引き込まれるのか。

その理由を、ぼく自身の経験と考察を交えながら、深掘りしていきます。

嵐がもつマイルドな外面:均整的側面

視覚的な調和と安心感

まず一番わかりやすい要素として、個々のメンバの外面的特徴に触れておきましょう。

男性が指摘すると気持ち悪いかもなので、短めに行きますぞ笑

嵐の皆さんの顔立ちって、いわゆる「イケメン!」っていう鋭さより、優し気で、マイルドで、親しみやすく、とげがない。日常にほのかに溶け込んでいるような感覚、つまり安心感を抱かせてくれるんです

個々の均整

個人別に言及すると、

  • 櫻井さん:無邪気なあどけなさが残りつつも、知的でマイルドな印象を与える顔立ち。堅実さと親しみを兼ね備えた、まさに男版の才色兼備
  • 松本さん:顔の彫りは深いけれど、刺々しい獣臭さはない。顔立ちは「端正」そのものであり、ジャニーズの代名詞的な美少年としての印象を与える甘いマスクの主
  • 相場さん:野原を駆け回る少年らしさが残る明るいお兄さん的な顔立ち。日常的に最も親近感を抱きやすいであろういい意味で庶民的な存在
  • 二宮さん:目鼻立ちが印象的なメリハリがある顔立ち。だけれども、柔らかく自然体で、見る人に圧迫感を与えない顔立ち
  • 大野さん:脱力系の顔面。とろんとした、間の抜けた、ポカーンとした、そして見る人に癒しや温もりを与える顔立ち。張り詰めない彼独特の空気感や愛嬌、表情が、見る人の緊張を解きほぐす

こうした、親しみをもたらすマイルドな顔立ちという視覚的な側面が、見る人に安心感や親近感を与える。だから、ぼくらの心が和むし、お茶の間も癒される。

やはり視覚的な清潔感は大切ですよね。

全体の均整

5人がそろう写真。なんとも安定感を覚えるシルエットですよね、彼らの集合写真は。

理由としてはまず、身長や人数のという定量的な要因が大きいですよね。

5人全員が、平均的な身長に集約される。凸凹してないから、見る人にストレスを与えない。

また、5人という人数が、少なすぎず多すぎない、絶妙な塩梅。

3人だと物寂しい、7人。8人だと、視界がうるさい。10人以上はもうカオス。

しかしながら、この点5人は、人が認識するに過不足ない人数です。加えて奇数だからきれいに左右対称になる。

誠に視認性に優れたシルエットの持ち主。それが嵐という生命体なのですな。

ぼくは中3の頃に、イギリスのボーイ・バンド「One direction」にドはまりしたのですけれど、彼らもそういえば5人組。顔立ちも刺々しくなく、優しげでマイルド。集合時のシルエットも誠に均整。ぼくは「5」と「均整」に惹かれる感性の持ち主なのかもしれません(おおむねそうか…)

嵐という「生命体」の魅力:均衡的側面

個性と調和

ではここから、話の軸足を、均整=見た目のお話から、均衡=性質/個性のお話にお乗り換えしましょう。

まず、ぼくが嵐に感じる最大の魅力は、

躍動する個性の奇跡的な調和

という点です。

  • 櫻井翔:的確な状況判断と仕切りで場を回す「ファシリテーター:舵取り役」としての力。
  • 松本潤:時に「物言う株主」的に、グループや作品のクオリティを追求する「アクティビスト:追求者」としての一面。
  • 二宮和也:透き通る澄んだ声で突き刺さる鋭い突っ込み、感情表現豊かに演じる作品の数々、そして気の利いた一言をポンッと出せるような、「エンターテイナー:演出家」としての才能。
  • 相葉雅紀:無邪気な天真爛漫さにあふれた姿、天然で素直なところが場の雰囲気に微笑みを与えような、「ナチュラリスト:無邪気」としての存在感。
  • 大野智:普段は一歩引いて全体を静かに見守る「オブザーバー:母なる支柱」的な立ち位置。
    ※ただし大野さんは歌では突如ファシリテーターに変貌。メインボーカルとして嵐の心臓部/駆動機関となる。

こういう、均衡=独特の個性が織り成す相互依存的な人的ネットワークが、嵐の中核にあると思っています。

では、この個性を結合させる要素は何か。

それは、「気遣い」や「思いやり」、「信頼」という豊かな感情のネットワークですかね。

つまり、感情というマインド面が、各々の際立つ個性を巧みに結合させ、結果的に嵐をまるで一つの生命体の如く機能させる

謙虚で柔和で自然体

そして何より、その「生命体」が、決して「鼻につかない」存在であること。

国民的スターなのに、偉ぶったり、ひけらかしたりしない。

常に視聴者やファンと同じ目線で、親しみやすく、和やかな雰囲気で語りかけてくれる。

それを計算や策略ではなく、ごく自然体でやっているからこそ、こちらも安心して心を許せる。

まるで、近所の優しいお兄ちゃんたちみたいに。

補足)キャラの深堀

キャラ被りしない

ぼくは、自分が属する組織とかチームで、自分の役割やキャラと被る人がいたら、あまりいい気持ちはしません笑。

なぜなら、自分が演じるべき、あるいは心地いと感じる縄張りの中に、他人に土足で入り込まれる気分だからです。

真似されたり、パクられたり、あまり好ましくはない。

この点、嵐は、極めて自然にかつ当然に、5人のキャラクタが慣習的に分離されている。

もちろん多少のグラデーションはあろうとも、もろ被りするとか、縄張り争いが起きるとか、そういう不毛な対立構造は生じていない。

巷ではよく、「バランスが云々」みたいな浅い言葉で括られてしまいます。しかしながら、その背景には、個性の発散と収束というネットワークに支えられている現実があるのかなと、一人で小難しく考えているのであります笑

キャラに関する持論

ぼくがよく学校のクラスで考えていたのは、「いや、それあなたのキャラじゃないから」という、クラスメイトに対するちょっとした感想でした。

たとえば、クラスに2~3人はいる、いわゆる「おふざけキャラ」。 彼ら彼女らが実践するからこそ、その言動は地に足の着いた「無邪気さ」として周囲に受け入れられ、場を和ませる。これって、一種の彼らにだけ許されたキャラという「特権」だと思うんです。

この「特権」は、誰もが自由に使えるわけではありません。 たとえば、普段は物静かな人が、急にその「おふざけキャラ」を演じようとしても、周囲はどこか戸惑ってしまう。一笑に付され、鼻で笑われ、自然な笑いには繋がりにくい。

結果として、場が少し気まずい空気になり、かえって演じている本人が一番居心地の悪さを感じてしまうことになりがち。

つまり「キャラ」とは、その人の積み重ねてきた言動や、元来持つ性質が、周囲との関係性の中で「そういう役割の人物だ」と認められることによって、初めて生まれる「特権」なのですな。

嵐も同じ。多分彼らのキャラは、たとえば「よし、自分はオブザーバーのキャラに徹するわ!」という感じで事前に決められたわけではない。テレビやらコンサートやら、種々のイベントでのつながりや実演を通じて、あくまで自生的/自律的につくりあげられてきたものなのかなと、ぼくは考えてます。

だからこそ、5人のキャラには、全く違和感がなく、逆に容易に受容できる。そこに親近感とか和やかさが生まれる。

という、キャラに関する持論を展開してみました笑

ぼくと嵐:原体験から再発見、そして深化

ここからは、ぼくが歩んできた嵐との人生を、ちょいとばかり振り返ってやろうじゃないか!と思います。

右向いても嵐、左向いても嵐

ぼくの嵐との出会いは、遡ること幼稚園時代。2004年。4歳くらい。落ちてるものをすべてサッカーボールとみなして蹴り上げていた、無邪気なアホのサッカー男児です。

当時は家族がずっと嵐の曲を聴いていて、家の中でも車の中でも、いつも彼らの音楽が流れていました。コンサート映像も。いや、ホントに、永遠にリピートされてました。

「君のために僕がいる」とか「サクラ咲ケ」、「Yes No」「素晴らしき世界」…。

当時は歌詞の意味なんて分からなかったけど、メロディーや彼らの歌声は、確実にぼくの脳細胞に染み込まれていきましたね。

勇姿に抱くピュアな憧憬

そしてなにより、自分より少し年上のお兄さんたちが、楽しそうに歌って踊って、勇ましく汗をかいている。

「なんだか、いいな、この人たち」っていう、子供ながらの純粋な憧れ

これこそが、ぼくと嵐の最初のタッチポイント、まさしく原体験となります。

5人組のスーパー戦隊に憧れるのと、わりと同じ感覚かもです。

自分の部屋にこもって、「Your My SOUL! SOUL!」のダンスを真似して踊ったりもしました。あれは、小1とかその辺だったかも。

当時は、ジャニーズとか、アイドルとか、そういうのは全く意識せず、というか知識として知らずに、ただの「テレビの中のかっこいい人たち」としか認識してませんでした。

「あ、ぼく、この人たち、すごいかっこいいなと、思いました」みたいな、純粋無垢な感情。

逆にいうと、理性やら何やらで、自分の直感を否定できる年頃ではないからこそ、目の前の「憧れ」を素直に受容できたのかもしれません。

つまり第一段階として、幼稚園児のぼくは、嵐というキャラクターに魅了されていたわけですな。

聴覚をジャックした名曲の数々

そして、中3か高1の頃。

家にあった嵐のCDを、持っていたiPod touchに全部入れて、改めて聴いてみたんです。なんだろ、ノリですね笑。買ったばかりのipodtouchをいじりたくて、いろいろ音楽を入れてみたわけですよ。

そこで「途中下車」とか「曇りのち快晴」「風」「Green」「ギフト」「over」「Blue」「Attack it」「春風スニーカー」「夏の名前」みたいな、いわゆるシングルカットされてないけどファンにはお馴染みの名曲、埋もれた名曲の数々に触れて、心を虜にされた。ハイジャックされた。

歌詞というか、メロディの美しさに惚れ惚れしましたね。

「え、こんな良い曲もあったの!?」って。

この時、幼少期に抱いた「キャラクターとしての嵐」への憧れに加えて、「ミュージシャンとしての嵐」の魅力に、初めて本格的に気づいたんです。

これが第二の出会い。

そこから嵐の番組を追いかけるようになり、改めて彼らのキャラクターや関係性の面白さに、より深くハマっていきました。

楽曲の魅力

耳が素直に受け入れる

そして最後に、やっぱり嵐の「歌」。

彼らの楽曲って、素直に耳に受容されやすいんです。

なぜなら、

不要に凝った転調とか、意味もなくカタカナや英語を多用するとか、無駄に甲高い声を出しまくるとか、癖が強い歌い方とか、そういう奇をてらったことをしないからです、たぶん。

聴き手を困惑させる鬱陶しいことをしないからです、たぶん。

ライブ定番曲は「一緒に」歌える

歌については、さきほども言及したけれども、

「言葉より大切なもの」「ハダシの未来」「GUTS!」「Love so sweet」「Love Rainbow」「サクラ咲ケ」

などなど。

自分が聴いていて「気持ち良い」と感じる周波数に、メロディーがすっと素直にスッと入ってくる。

だから、口ずさみやすいし、何度聴いても飽きない。曲名はわからないけど何故か脳に残っちゃってる。みたいなことが起こりやすいのですな。

晩年の楽曲について

ここでちょいと、批判的考察も入れておきます、歌について。

(ただ、個人的には、晩年の英語を多用した曲は、ちょっと大人っぽくしすぎちゃったかな?って。

無理にハリウッドに目を向けすぎていた気もする。そういうの要らん、って思っちゃった。youtubeの再生回数を見れば火を見るよりも明らかですけど。

まあ、馴染めなかった部分もあるけど、それはご愛嬌ということで。

正直歌という観点でいうと、Oneとか5×5のベストアルバムの時期が一番好きでした)

(補足)エピソード紹介

最後に、ぼくが好きなエピソードトークを3つだけご紹介します。ちなみに、下記3つ以外にも、

  • 自分を芸能人と認識していない大野さん
  • GACKTの指輪を弄んで注意されるメンバーたち
  • 櫻井さんのなで肩をいじるニノ

などなど、微笑ましく庶民的なエピソードがたくさんあるんですけど。

ここでは3つだけ、書きます。ちょっと疲れてきたし笑

活動休止会見

たとえば活動休止会見の時。

大野さんが、記者の「活動休止期間」についての質問に少し詰まった瞬間、すかさず櫻井さんが、「まだ決まってないんだよね笑?」と、場を和ませるように、でも決してふざけすぎない絶妙なフォローを入れた。

ああいう瞬間に、彼らの関係性の深さと、グループとしての成熟を感じる。

ホテルの廊下で睡眠事件

また、コンサート先のホテルで、相葉さんが鍵を持たずに部屋から出てしまい、廊下で寝ていたのを松潤が「死んでるかと思った!」と発見するエピソード。

無人島と王様

5人で焼肉屋に集まった時に、松潤が「無人島買って、政府に届けを出したら、王様になれるんじゃないか」と割と真剣に語り出し、みんなで男子校みたいにワチャワチャ盛り上がるエピソードとか…。

こういう、クスッと笑える、いい意味で庶民的なエピソードがたくさんあって、彼らをすごく身近な存在として感じられる。

これが、ぼくが嵐に「共感」し、一緒に楽しめる大きな理由の一つです。

おわりに:ぼくにとっての嵐とは

成功してもそれをひけらかさず、常にファンと同じ目線でいてくれる親しみやすさ。

それでいて、パフォーマンスや作品作りに対しては、とことん突き詰めて議論し合うプロフェッショナルな姿勢。

この「子供らしい無邪気さ」と「大人としてのプロ意識」が、5人の個性の中で違和感なく同居している。

だからこそ、嵐という「生き物」に、ぼくは心を奪われ、魅了され続けているのかなと、考察しております…!

はい、以上。2026年の5月?6月?ころまで、追従していきましょう、彼らの背中に。

ちなみにぼくのアラーム音は、大野さんの「Take me far away」です笑。厳かに始まるイントロ、不純物がない透き通る美声、その2つが毎朝のぼくの寝ぼけ眼を覚醒させるのであります

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