目次
はじめに:目的と方法論は、セットでなければ意味がない
結論:中学受験はした方がいい。子どもと「伴走」できるならなら。
こんにちは、あきとです。
前回の記事では、中学受験の「目的」について、ぼくなりの考えを語ってみました。
それは、短期的な偏差値ではなく、子供が自分なりの「軸」、つまり「生活力」を見つけるための「人生の縮図」を体験すること。
そして、その過程で、子供を「精神世界の浮浪者」にしないこと。
では、その目的を達成するためには、具体的にどうすればいいのか。
今回は、その「方法論」、特に、親、子、そして塾が、それぞれどういう役割を担い、どう立ち回るべきかについて、考えてみたいと思います。
役割分担の「大原則」:主役はあくまで、子ども
まず、ぼくが思う、中学受験における登場人物の、理想的な役割分担はこれです。
- プレイヤー(主役): 子供
- マネージャー: 親
- コーチ: 塾
この関係性が崩れた時、中学受験は、途端にその闇の部分を露呈し始めます。
特に、親がその役割を見失うことから、多くの悲劇が生まれるように、ぼくは感じています。
親という名の「マネージャー」が陥る、二つの罠
では、親が陥りがちな罠とは、何なのでしょうか。
罠①:教育熱が「見栄」にすり替わる
中学受験の「闇」の多くは、親が、その役割を見失うことから始まります。
親は、あくまで「マネージャー」のはず。
しかし、いつの間にか、自分がプレイヤーであるかのように錯覚し、子供を自分の駒のように動かそうとしてしまう。
その引き金となるのが、「見栄」です。
資本主義社会で巧妙に仕掛けられた塾のマーケティングは、「あなたの子供も、もっとできるはず」「あそこのお子さんは、もうこんなに進んでいますよ」と、親の不安と競争心を煽ります。
世間の基準と、我が子の現状との「乖離」に悲観した親は、その冷静さを失い、「暴走」を始めてしまう。
「子どものため」という教育熱は、いつしか「世間に対する、親自身の見栄」へと、すり替わってしまうんです。
愛情が情熱に、情熱が執念に、そして執念は狂気に変質するのです。
罠②:「第一志望」という名の呪い
もう一つの罠が、「第一志望に受からなければ、失敗だ」という、硬直した価値観です。
この「第一志望」という言葉の呪いは、子供を過度に追い詰め、挑戦する心を萎縮させてしまう。
もし、結果的に第二、第三志望の学校に進むことになった場合、子供の中に、拭いがたい劣等感を植え付けてしまう危険性すらあります。
たとえ第1志望に落ちても、
「ごめんなさい」「自分のせいだ」VS「よしやり切った」「中学楽しむぞ」
このどちらの感情を抱くかにより、その人の心に残る傷の深さが変わる。
修復ができないほど抉られるのか。
それをバネに、Hop Step Jumpして、次なる挑戦につなげていけるのか。ダメージを負うと逆に強化されるサイヤ人のように笑
親という名の「マネージャー」の、「最高の立ち回り」
では、これらの罠を避け、子供にとって最高のマネージャーであるためには、どうすればいいのか。
ぼくが思う、「一般的な立ち回り」は、次の二つです。
言い換えれば、ぼく自身が受験生だったときに、熱心すぎた親に取ってほしかった姿勢が、以下の通りです。
立ち回り①:「やってみる」という機会の、提供者になる
まず、親ができることは、子供に「やってみよう」と思える機会を提供すること。
ぼくは、プラグマティズム的な考え方が好きなんですが、結局、人間は、実際に行動してみないと、それが自分に合っているかどうかなんて、分かりません。
「近所の中学、ちょっと荒れてるらしいね」とか、「あそこの中学校、すごく楽しそうだよ」とか、そういう会話を通じて、子供の心に「学ぶ楽しさ」や「充実した環境で過ごす快適さ」の種を、マイルドに植え込んでいく。
子供が、それを自分なりに解釈し、「じゃあ、頑張ってみたい!」と、自らの意思で思えるようになる。
そのきっかけ作りこそが、マネージャーの最初の仕事です。
立ち回り②:「受容」と「伴走」に、徹するということ
そのためには、親が「伴走」すること。喋りながら、読みながら、解きながら、学びのパズル的な面白さや奥深さを会得していく。
そして、子供が「やる」と決めたなら、親は、徹底的に「マネージャー」に徹する。
プリントの管理、試験日程の管理、お金の管理といった、子供一人では抱えきれないロジスティクスを担う。
そして、何より大事なのが、精神的なサポートです。
「受容」の姿勢を見せること。
繰り返しになりますが、子供と一緒に走り続ける「伴走者」であること。
見栄と羨望による「暴走」は止めて、受容と共感による「伴走」に徹する。
親は、コーチであり、カウンセラーであり、そして、マネージャーなんです。
おわりに:「子どもの、子どもによる、子どものための学び」
中学受験は、親の「見栄」が暴走する時、子供から「自分の軸」を奪い、「言い訳をする大人」への道を開いてしまう、危険な罠になります。
しかし、親が、あくまで子供の人生の「マネージャー」に徹し、その「挑戦」を支えることに集中するならば、それは、子供が、人生で初めて経験する、至上の成功体験(あるいは、意味のある失敗体験)になるはずです。
結局のところ、これに尽きるんじゃないかな、と。
「子どもの、子どもによる、子のための学び」
…これこそが、中学受験という、奇妙で、しかし、魅力的な舞台の、あるべき姿なんだと、ぼくは思います。
中学受験をさせなくとも、少なくとも公文等の算数力を育める塾には通わせておくべきかなと思います。以前の記事でも書きましたが、算数/数学力があれば、割と学歴社会を生き抜いて行けちゃうので笑




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